自然科学からの逆輸入 「哲学オンラインセミナー『新カント派に還れ!─新カント派の黎明と興隆』」レポート

 オンラインセミナー「新カント派に還れ!─新カント派の黎明と興隆」が3月27日、哲学オンラインセミナー主催で開講された。講演者の辻麻衣子氏は2008年に本学文学部哲学科卒業後、20年に本学大学院哲学研究科にてカント研究で博士号を取得。大学院時代から指導教員の影響で新カント派の研究を始めたという。

 新カント派とは1870年代から1920年代にかけてドイツ国内で大きな影響力を振るった、カント的な認識論への回帰を主張する学派である。狭義での哲学に限定されず、歴史学や法学といった分野にも影響を与えた。著名な法学者、ハンス・ケルゼンの「純粋法学」は新カント派マールブルク学派の思想そのものといえる。大きな影響力を持った新カント派は、それにもかかわらず、現象学やマルティン・ハイデッガーの出現により忘れ去られたとみられている。

 新カント派台頭の背景には当時の哲学界で多大な力を持っていたヘーゲル的な思弁的観念論の瓦解がある。1831年にヘーゲルが亡くなった後、ヘーゲル主義が老ヘーゲル派、中央ヘーゲル派、青年ヘーゲル派などに分裂し、影響力が低下していく。また当時、哲学者が扱っていた自然科学が哲学から分離し始め、経験諸科学が隆盛する。50年代にはルドルフ・ヴァーグナーの講演を発端とした唯物論論争が勃発。生理学者でありながら唯物論に警鐘を鳴らすヴァーグナーに左翼革命家でもある生理学者カール・フォークトが対抗し、ヘルマン・ロッツェやアルトゥール・ショーペンハウアーを巻き込み新旧対立も含んだ唯物論論争となる。これらの流れの中で、非ヘーゲル的な新たな思想や何かしらの復興を求める空気が醸成されており、新カント派の確立につながった。

 最盛期、新カント派はマールブルク学派とバーデン(西南ドイツ)学派の二つの学派に分かれる。マールブルク学派はマールブルク大学を中心に興った論理主義的な学派で、カントの『純粋理性批判』を基盤に理論的認識を中心的な関心としている。『唯物論史』を著したフリードリヒ・アルベルト・ランゲの後任に数学を重視するヘルマン・コーヘンが指名されるなど、自然科学との親和性が高い。しかし後進が育たず、1920年頃には衰退していく。バーデン学派はハイデルベルク大学、フライブルク大学を中心に興った価値論的な学派で、カントの『判断力批判』を基盤に目的論性や歴史性をテーマとする。同時に規範、目的、理想といった普遍的な価値を扱い、人間の生きる事実の世界と価値の世界の二つを考える二元論を取る。現象学の出現に伴いバーデン派も1920年代に衰退する。

 新カント派の先駆けとも呼ぶべきカント哲学の復興運動には、19世紀中葉から後半にかけての生理学を取り巻く状況が大きく関わる。感覚や知覚をめぐる問題は人間の認識に関わるものとして、それまでは哲学者によって扱われてきた。しかし19世紀の実験機器の発達により神経生理学が誕生、感覚野知覚は生理学の対象となる。このような動きの中で、知覚や認知における生理学的アプリオリズムを認める生理学者らがカントの認識論を好んで援用した。例えば哲学者、心理学者、教育学者であるヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトは生理学の発展以前から新カント派と同様の思想を持ち、カントの認識論を心理学的に新たに基礎づけることをもくろんだ。ヤーコプ・フリードリヒ・フリース、フリードリヒ・エドゥアルト・ベネケらは19世紀前半、カント主義的心理学の立場からカントへの回帰を呼びかけた。ヘルバルトの影響を強く受けた生理学者、ヨハネス・ペーター・ミュラーは特殊神経エネルギー説を提唱し、感覚とは外界の物理的性質を直接反映したものでなく、外界の刺激によりもたらされた神経の反応であると主張した。ミュラーの弟子である生理学者、物理学者のヘルマン・フォン・ヘルムホルツは1855年の講演「人間の視覚について」にて自然科学と哲学理論の一致を示すとともに、フリードリヒ・シェリングやヘーゲルによる自然哲学を批判した。ランゲは『唯物論史』の中で自然科学におけるアプリオリズムをカントの認識論と結び付け、カントの理論を復興した。

 このようなカント哲学の復興運動は、ヘーゲル主義や唯物論が優勢であった当時のドイツ哲学の内部からではなく、自然科学の側から哲学へと逆輸入されたものだったとも言えると辻氏は語る。

(田鎖望)