上智大学からミュージカル俳優へ ~石井一孝さんの学生時代に迫る~

7月まで上演していたミュージカル『シークレット・ガーデン』に、ネヴィル役で出演していた上智大出身の石井一孝さん。

学生時代にはシンガーソングライターを目指していた石井さんは1992年、友人の勧めで応募したミュージカル「ミス・サイゴン」のオーディションに合格し舞台俳優デビュー。1993年にはディズニーアニメ『アラジン』のアラジン役(歌を担当)、その翌年には『レ・ミゼラブル』のマリウス役、TVドラマ『29歳のクリスマス』の深沢役を掴み、想像もしていなかった俳優としての道が次々と開かれていった。

そのように、本学の卒業生として輝かしい実績を築いている石井さんに、久しぶりの母校で在学時のエピソードを振り返ってもらった。

 

 

石井さんは外国語学部イスパニア語学科出身。高校時代、『スペイン子連れ留学』という小西章子さんのスペイン生活を描いたエッセイに感銘を受け、イスパニア語学科を選んだという。「インターネットもなかった時代だったから、パエーリヤって実際どんな料理かも知らなかったのに、スペインに運命的な何かを感じてね。図書館や本屋でスペイン関連の本を読み漁ったんですよ」と石井さん。そしてスペイン語が学べる大学として、上智を受験し合格した。

迎えた入学式。周りの新入生がブレザーやワンピースに身を包むなか、石井さんはなんと黄色のスキーウェアという奇天烈な格好で出席した。「今は俳優ということもあってファッションには気を遣っているけど、当時はホントに着るものに興味がなかったし、周りにどう思われるかなんて気にしない変わり者だったんだよね」。当然周囲からは「引かれた」という。

 

 

翌年のオリエンテーションキャンプで、石井さんはまさかの変貌を遂げる。元々、興味があることとないことへの態度がはっきりしている石井さん。入学当初は受験によるストレスで、その自由奔放で社交的な性格はかなりねじ曲がっていたと語る。「オリキャンでは、手つなぎ鬼とかサッカーなど興味のないレクには、周りに白い目で見られても参加したくないと主張したんです。なのに夜に開催されたイントロクイズにはすごく積極的に参加した。そしてあまりにも協調性のない僕を注意してきた上級生のヘルパーに逆切れしたんだよね。当時は心が荒んでたなあ。あの頃の自分とは友達になりたくないです 笑」。当然同級生にはドン引きされたという。

しかし授業を通して同級生との交流を深め、本来の明るくオープンな性格が開花。すっかり人気者になった石井さん。その勢いで2年生時には、同級生の推薦でまさかのヘルパーに就任。一年前は嫌がって参加しなかった手つなぎ鬼には誰よりも嬉々として参加したという。

入学後、石井さんは音楽系のサークルに所属するも、学生の思い出作りの時間を重ねることに違和感を感じすぐに辞める。プロの歌手を真剣に目指していたからだ。程なく5歳年上のプロ志向社会人達の組む金髪ロン毛ハードロックバンドに加入。

その後は、シンガーソングライターになるためにひたすら作曲とライブ活動を重ねたのだが、面白いのはもう1つ学生時代に熱を入れた「とあること」だ。なんと、石井さんは「ホフマンホールのB1にあるトレーニングルームでベンチプレスを上げること」に4年間の情熱をささげたと言う。「逆三角形の引き締まった体を手に入れ、女子にモテたかったから」という動機が学生らしい 笑。「部活動はしていなかったが、ホフマンホールで出会うラグビー部やアメフト部員、ベンチプレスのヌシとともに汗を流してたっけなあ。ベンチプレスを上げた後に、プロテインをがぶ飲みしながら食べた、ホフマンの食堂のカレーがホントおいしかった」と懐かしそうに話してくれた。ここで気になったのが「ベンチプレスのヌシ」という人物。石井さんが言うには、ベンチプレスの主とは、「明らかに学生ではないのに、なぜかホフマンのB1でベンチプレスを上げていた人物。それも平日の昼間から」だそう。また、そのヌシはベンチプレスを上げに来る学生への指導も行っていたようで、石井さん自身も最初はヌシに補助してもらいながらベンチブレスを上げたという。石井さんは四谷周辺で運送業のバイトをしていたということもあり、卒業後も25歳になるまで、ホフマンホールでベンチプレスを上げ続けたそうだ。「その時は、逆に俺が学生達にヌシって呼ばれてたかもしれない」と苦笑いした。

 

 

キャンパスの風景や学内の設備は色々変わったね。でも目をキラキラさせているソフィアンの爽やかさは変わらない」。ハラルカフェで大きなナンにかぶりつきながら、私たちに語る石井さんの瞳もキラリと輝いていた。

2018年10月11日